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癌との戦争が始まっている! みんなで癌と戦う覚悟を

 癌との戦争が始まっている! みんなで癌と戦う覚悟を 

あなたは大切な人を奪われていませんか?

☞ 最初は、同い年の米谷(まいや)さんを。
彼は、私が42歳で再就職した小さな紙問屋のベテラン運転手だった。新米の営業となった私をどんなに助けてくれたか。お客さんからもらってきた無理な注文も、彼は嫌な顔一つせず配達してくれた。 困っている私を、「東海林さん、大丈夫だよ」と励ましてもくれた・・・。

ある時、彼が「風邪」をひいた。1か月たっても治らず、職場のみんなで「おかしいよ、医者へ行ったほうがいいよ」と説得した。医者へ行ったら、即入院だった。 一度だけ退院したが、顔を会わせる間もなく再入院し、半年も経たずに亡くなってしまった。肺癌だった。40代半ばの若さで・・・。子どもさんたちも、まだ小・中学生という時期に。

☞ 2人目は、妹のような明(あけ)ちゃん、彼女も肺癌に捕らえられた。 大学時代に家庭教師として教えたのが、明ちゃん、弘ちゃんの姉妹だった。 教えていて、聞かれても分からないと、私は「学校へ行って先生に聞いてみな」と言う“できの悪い教師”だった。が、不思議とクビにならず、大学4年まで続けさせてもらった。 当時高校生の明ちゃんと、ケネデイが暗殺されたことについて議論したことを覚えている。何にでも真剣な彼女は、「すごいショック。先生、世界はどうなるんですか…」と問い詰めてきた。

それから何年かして、新婚間もない私のアパートに、突然、明ちゃんと弘ちゃんが転がり込んできたこともあった。明ちゃんが、親に無理に婚約させられそうなのだ、と。 薬科大を出た彼女は「みんなの役に立ちたい」と、漢方の薬剤師になった。 たまに訪ねると、必ず、ヘビースモーカーの私に「先生、タバコやめなよ」と言ってきた。 その彼女が肺癌になったのだ。

16年前頃(1999年か?)の1月、みぞれの降る寒いころだった。 突然、弘ちゃんから電話が入った、「先生、明ちゃんが危ない。肺癌で死にそうなんです」と。 東京の病院のベッドでモルヒネで意識を失いながらも、身体をエビのように曲げ痛みに苦しんでいた。 握手をしても反応がなかった。身体がずっと小さく見えた。 それが最後だった。彼女が50才になるかならない時・・・。 生きていたら、彼女はきっと人の役に立つ仕事に没頭したにちがいない。あんなに「みんなを病気からまもりたい、だから薬科大に入ったんだ」と言っていたのに。 私がタバコをやめたのは、この時から。

☞ 2009年7月31日、癌によって、また大切な友を奪われた。 30年以上もの間の友人、もっとも信頼する友のひとり、福永さん。 「成人T細胞白血病リンパ腫」、5年間ほどの闘病生活の後、力尽きた。
彼は鹿児島出身の薩摩っぽ。口数少なく、にこやかだが、根は頑固者。彼には嘘が無い。彼が心にもないことを言ったのを、長いつきあいで一度も聞いたことがない。 知り合って間もない20代の頃、いっしょに勉強会を始めたが、読めない漢字があると、次回からは調べて振り仮名を振ってきていた。 40年間ほど、いろんな人と勉強会をしてきたが、こんな人は他にいなかった。

奥さんと中2、中3の2人の息子さんを残して・・・。あの優しい福永さんがどれほどに無念だったかと思うと、癌と知りつつ何もできなかった自分が悔やまれてならない。 福永さんも、逝ってしまった!! 
(この次の項目にに福永さんの手記を掲載します)  

     

癌は私たちの油断を見透かすように、次々と襲いかかってくる

☞ 2015年の5月、私が山形に戻ってきて20年、ずっと保険代理店同士の仲間として助け合ってきた武田さんを癌で奪われた。
一緒に保険の勉強会をしたり、思いっきり酒を呑んだこともあった。私が事務所兼住宅を建てた時には、勉強会の若い仲間たちと一緒にお祝いに来てくれた。
その時もらった「逆さ馬」の大きなコマが、今も玄関から私を見つめている。

昨年(2014年)9月、「癌患者の声や悩みを聞かせて」と頼んだ時の記録には、こう書いてある。 2011年に大腸癌になった。
2013年ころ、リンパの癌になった。この頃から、毎月1回、秋田の岩盤浴療法に通うようになり、「費用は旅費込みで1回3万ほどかかるが、症状が急速に改善された」と言っていた。
2014年ころ、肺や内臓に転移していったらしい。

頭に焼き付いているのは次のような彼の話。

「抗がん剤治療はだんだん効かなくなるし、苦しいし、医者は新薬にするかと言うが、健康保険きかないので月に8万は出さなければ。年に100万になる。そんな大金、普通の家ではとても払えない。」
「仕事はいつまでやれるか分からない。治療も生活も先が見えない、この不安が大きい。」 「癌患者は孤独だ・・・」。
    

毎年30万人以上もの死者、これは戦争ではないのか?

☞ 2013年に癌で死亡した人は364,872人。その内、男は216,975人、女は147,897人(国立がん研究センター「がん情報サービス」より)。「日本人が一生のうちにがんになる確率は、男性は62%、女性は46%」(東京海上日動あんしん生命『がんのはなし』より)。
大切な人をまもり、自分をまもるために、次の2つを提案します。

①  国、県が率先して予防と治療の体制を整えること。特に、癌検診の充実と重粒子線治療などの先進医療体制づくり、さらに国の支援が遅れがちな免疫療法や漢方治療へのバックアップを。

② 癌は第一に予防が重視されなければ。運動や免疫力アップ等、自分でできる予防を実践しよう。


  子どもたちが成人するまで何とか生きながらえたい ‼

がん患者さんからのお便り・・・埼玉県 福永健一さんから

東海林さん、こんにちは。仕事を通して社会貢献に頑張っていますね。がん患者の手記、読みました。皆さんご苦労されていますね。

 私も、発病以来、がんの摘出手術、抗がん剤治療、血液幹細胞移植、放射線治療を受けています。

 抗がん剤治療では、白血球(通常であれば7000~4000個)が100位まで落ち、苦しい思いをしました。白血病患者は、食が細くなって死んでいく方がいましたので、食事は美味しくなくても(抗がん剤治療時は味覚が狂ってくるため)無理して食べていました。  2005年01月~2005年12月まで入院。退院時、体重は75kgから65kgに落ち、退院して一ヵ月後に職場復帰しました。

 1年後に再発、血液幹細胞移植治療。たまたま息子と白血球の型が一致したので息子の血液幹細胞を移植できましたが、一時は、兄弟では白血球の型が一致しなかったのでドナー探しの心配をしました。
 2006年12月~2007年2月まで入院。自宅療養して2007年9月から職場復帰。2008年2月再発。通院治療で放射線治療。現在の体重は61kgです。

 私の病気は、白血病系の悪性リンパ腫ですので、進行が早いため早め早めの治療を受けてきました。そうする事が最善の治療方法と考えたからです。ところが、職場の仲間(腎臓がんを発症した方で代替治療でがんを治している)から「がんは生活習慣病だから代替治療で治るから、この本を読め」とすすめられて読んでみました。

 本の名前は、「ガン・治る法則12カ条」で、著者は河竹文夫でNHK教育テレビスペシャル「人間はなぜ治るのか」を製作。著者自身、腎臓がんを発病、がんを自然治癒で克服しています。
 本の内容は、生活習慣の見直し、仕事のやり方の見直し、自分の免疫力を高めることによりガンを克服するというもので、それで治った方がいるというものでした。
 二度再発している私としては、治療方法が無くなってきていることもあり、食事療法(玄米菜食)でガンを克服できるのであればとの思いで玄米菜食を始めました。

 子どもたちが成人するまでは何とか生きながらえたいとの思いです。

 東海林さんの知り合いでガンを発症された方がいれば、病院で手術、抗がん剤、放射線治療を受ける方がいたら、代替治療もあることを教えてあげて下さい。手術、抗がん剤、放射線治療(この治療方法は患者の免疫力が落ちていきます)だけではなかなか治らないのが、ガンです。

 つらつらと、取り留めのないことを書き、申し訳ないです。東京でお会いできることを楽しみにしています。

2008年4月14日

◆ これを書いて1年3カ月後、福永さんが亡くなった! (注:東海林正弘)

 これは福永さんが、当相談所のホームページを読んで寄せてくれたお便りです。
福永さんとご家族に、そして苦闘を続けているガンの患者やご家族のみなさんに、少しでもお役に立てればとの思いから、福永さんのご了解を得て、ここに掲載しました。

なお、お便りの中で治療法について述べられている箇所がありますが、これは福永さんご自身の苦しい体験を通じたご意見であり、闘病中のみなさんのご参考になればと思います。
 多くの患者さんが命がけで闘病し、さまざまの治療法を模索されています。それらの情報交換自体が、助け合いではないかと思います。多くの方のご意見をお待ちしています。     

 実験台になるつもりで免疫力アップに挑戦してます

・・・癌予防のために

 免疫力のことを知ったのは癌患者との交流を通じて。2年くらい前ころか。
本を読んだり、患者や家族の方と話す中で、免疫力の凄さを教えられました。 手軽にできるのは食事や運動面の改善かなと思って、意識的に始めました。

➲ 朝はこんなことをしてます。

◕ 朝6時半、犬の散歩を夫婦で。早足で25分ほど。後半は手、指の運動を繰り返しながら、足を少し高く上げて歩く自分が行くのは週に5日ほど。
◕ 帰ったら、喉のうがいと口すすぎを、それぞれ35数えつつ各1回、つま先立ちとお腹ぽこぽこを繰り返しながら。そして水を一杯飲む。
◕ 妻の作ってくれる野菜ジュースを一杯。
◕ 「般若心経」の読経。これは両親を亡くしてから。気持ちの面でもいい。
◕ ヤクルトとお茶を飲みつつ、新聞の立ち読み。チョコレートも1粒。
◕ 軽い筋肉体操のような柔軟体操のようなことを、10分弱。
◕ 朝食は、パン一切れ、野菜サラダ、牛乳一杯、らっきょう2粒、このほか、あれば大根の酢漬けやブロッコリーなどを少しずつ。

➲ 昼はこんなことをしてます。

◕ 何かの本で「キャベツは免疫力アップに良い」と知り、昼と夜のご飯のときには、キャベツの千切りを小鉢にてんこ盛り一杯ずつ。
◕ ご飯の後にヨーグルト約200グラム、これにきな粉と蜂蜜を入れて。
◕ 食後には昼寝。これは40代からの習慣で、前は15分だったが今は30分に。年令もあるだろうが、なにせ忙しくて睡眠不足(今もこの仕事を夜中の3時から再開し、現在すでに5時半…)。眠くて何回か事故を起こした反省(!)もあり、30分は昼寝をすることにした。

➲ 夜はこんなことをしてます。

◕ 仕事の終りには、四股(しこ)を20回、肩の上げ下げ20回。週の半分程度実行。
◕ 黒にんにく(発酵して黒くなってる)一粒。
◕ 「般若心経」の読経。
◕ 夕食(実は夜食、仕事が遅いので夜の12時頃に食べ始める)には、野菜と肉、魚を重視した煮物系中心か(寒くなると鍋物が多い)。これは自分が作るわけではなく、妻が出してくれたものを食べてるだけですが。
◕ キャベツの千切り、小鉢に一杯。
◕ 最近「いい」と聞いたのが、キムチと納豆の合わせ技。これは両方とも発酵食品だし、繊維質だからということ。便秘にもいいのは実感。体内免疫力の80%は腸でつくるから腸を大事に。便秘は癌の大敵らしいですよ。
◕ 毎晩、お酒類を呑んでます、いい気持ちで。でも呑むのは、お酒を蕎麦ちょこに7分目、赤ワインを細身のグラスに半分だけ。週に2回程はワインの代わりにビール250cc一缶。漢方の先生から「ビールは身体を冷やすので良くない」と言われていたので、冷やさ ずに常温でちびりちびりと。冷やして呑むよりも、このほうがビールの味が分かる。だから美味しいビールでないと呑めない。最近はエビスビールの「琥珀」を愛飲。少しずつ、毎日呑むのは健康にいいらしいですよ?
◕ 食べてる最中にバタリとごろ寝に(これが悲しい!)。頭がガクッとなった拍子に髪の毛が味噌汁に、というのも時々。
◕ 夜中の2時か3時に起きだして、食べた物をかたづけ。また、喉のうがいと口すすぎを「ガラガラガラッ」と各35回ずつ、2度繰り返す。つま先立ちとお腹ぽこぽこを繰り返しつつ。そして水を一杯。
◕ 寝る前にミニ体操。顔の筋肉を動かしつつ、青竹踏みや爪先立ち、お腹のぽこぽこを300回ほど繰り返す。 ・・・・・・以上です。

➲ 結論は・・・・・、 

 これで癌になったら「仕方ない」と覚悟してます。 ㊟1、これらは私の「我流の健康法」ですから、安易にまねて「病気になっても知りません」。自己責任でやりましょう。自分の身を守るのは自分なんです。 ㊟2、後日、これを読んだ方から「ヤクルトは食後にのんだほうがいい」と教えられました。     




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