3.11の東日本大震災から、ずーっと考えさせられてきました。
〈1〉宮城県石巻市の大川小学校跡にも、何回も足を運びました。黙とうするたびに、自分たち大人の責任を痛感し、何ができるかを考えずにいられませんでした。
濁流の下で、子どもたちはどんなにもがき、苦しんで逝ったことか?
保険会社、保険代理店として、私たちにできることはなかったのか?
私たち保険にたずさわる者の社会的責任とは何なのか?
災害が起きてから考えるのではなく、起きる前に考えるのが人間なのではないか?
〈2〉3.11でダムが決壊し、19棟もの家屋が全壊し、床上床下浸水家屋55棟という被害が出て、7人もの人たちが亡くなり、1才の幼児は今もって行方不明となっています。(注1参照)
あなたはご存じでしたか?
福島県須賀川市の藤沼ダムが3.11大震災で決壊したのです。
総貯水容量150万トンの農業用ダムでした。ダムとしては小さかったのですが、それでも大きな被害が発生しました。
だが、ダムは日本全国にあります。地震でダムが決壊する? ダムの安全神話が崩壊したとすれば、あなたのところは大丈夫ですか?
私たちの住む山形県内陸部には寒河江ダムというとてつもなく大きなダム(総貯水容量1億900万トン)があります。
3.11で、自分たちの住むところの安全について考えさせられたのではないでしょうか?
〈3〉3.11の現場に足を運ぶたびに生命の重さ・尊さに胸が押しつぶされそうになります。生命をまもること、あんぜん・あんしんを最も大切にすること、それを教えられました。
〈4〉3.11後、現場をまわる中で、保険代理店の社会的使命は“生命をまもるためにたたかうこと”だと思いいたりました。
大川小学校跡に立つのは3回目でした。 そのたびに、心に訴えかけてくるものが違ってくるのです。不思議です。
初めは、惨状にぼう然とするばかりでした。
2度目は、黒く冷たい濁流に呑み込まれ翻弄されながら、子どもたちは「おかあさーん」と叫ぶこともできずに亡くなったんだと気づきました。そう思うと、それが自分のこどもや孫だったら・・・胸がカキムシラレルヨウデス。
今回の3度目は、亡くなった子どもたちが私たち残されたものに何を訴えているのか、ということでした。 私の胸に響いてきたのは、「みんなを助けてー!」という叫びでした。「自分を助けてー!」という叫びは当然ですが、「子どもたちみんなを助けてー!」と叫んでいるように聞こえるのです
。
3.11以降、被災地であれ、たまたま被災地でなかったにしろ、残された大人たちの責任は、子どもたちに2度とこのような悲惨、苦しみ、絶望を味わわせてはならない・・・ということではないでしょうか。
あなたは、どう思いますか?
次の5枚は当日撮った写真です。
これは廃墟となった大川小学校の全景です。
濁流は2階建て校舎の屋根付近まできました。鉄筋コンクリートの脚が倒れています
津波の激しさを物語っています。
子どもたちは、そんな濁流に呑み込まれていったのです。
大川地区の全景です。
小学校を中心に集落がありました。
ここでも400人余(今のところ正確には分かりません)が濁流に呑みこまれていったそうです。
手前の川が旧北上川です。右手の山が「あそこに逃げれば助かったのでは」と言われている学校の裏山です。
子どもたちは先生に誘導されて右手手前の橋のたもと(周囲から5メートルほど高くなっている)に逃げようとしていました。そこを津波が襲ったのです。
実際に逃げて助かった子どもたちもいる裏山の登り口周辺。手前が学校の校庭。
初めてこの地に立って、遺族の方たちが慎重に慎重に何かをさがし求ている、そのうしろ姿を目の当たりにした時はショックでした。(大震災から2年経った今も、遺族の方たちが遺品や手がかりを求めて…)
なぜ、この山に逃げなかった? 子どもたちの中には「先生、山に逃げよう!」と叫んでいた子もいたという話です。
私は誰かを責めているのではありません。
亡くなった子どもたちからすれば、私は「第3者」にすぎませんから、人を責める資格も何もありません。
そうではなく、自分を、そして自分たち大人の責任を問題にしているのです。「なぜ、普段から防災を考え、準備をしてこなかったのか?」と。
今、私はダムの危険を一生懸命に訴えています。海岸線に住む方たちは津波の危険に備えるとして、日本列島の内陸部に住む私たち(私は山形県寒河江市在住)は、津波同様に危険なダムの決壊・濁流に備えなければならない・・・と。実際、3.11で福島県須賀川市の藤沼ダムが決壊し、死者まで出ている!
学校の前の旧北上川の堤防です。
高さ5メートルほどか?これでも3.11後に補強された堤防です。子どもたちは先生方に引率されて、山の方ではなく、この堤防の方に逃げようとして次々と濁流に呑みこまれていったのだそうです。
驚いたことの一つが、大川小学校周辺の海抜は0~2メートル程度だったということです。
どんなに立派な建物でも、そもそもそれが建っている土台や地域が安全でなければ、危険に対して無力だということを教えています。なのに避難訓練も行われていなかった?
同じような危険は、全国各地にあるのではないでしょうか。
私の住む寒河江市や隣の西川町でも、最大容量1億900万トンもの寒河江ダムという巨大ダムの直下に小学校や中学校があります。
子どもたちは大丈夫でしょうか? 万一の時は誰が責任をもつのでしょうか? それとも、3.11後の今なお「ダムは決壊しない」とうそぶくのでしょうか? ・・・だから私は「大人の責任」「社会の責任」を問題にし、保険業界、さらに保険代理店である自分自身の責任を痛烈に考えているのです。
(2013年7月30日 記)